先日、とある音楽家とお話をしていて、
とっても悲しい気分になった出来事がありました。

それは、リストの曲は技巧的にピアノをかき鳴らすだけの音楽だ、
という思い込みをお持ちで、
私の話を全く信用して頂けなかったのです。

確かに、リストと言えば、
ヴィルトゥオーゾ(名技性)、ピアノの魔術師、カリスマ性、
タールベルクとのピアノ対決、 という言葉が連想され、派手な要素もあります。
それによってリストという人物が有名になったので、
そのイメージばかりが先行しても仕方がないのかも知れません。

しかし、リストの音楽には、とっても浄化された深遠な世界もありますし、
文学的な要素も多く、 決してエンターテインメント性ばかりが
持ち上げられるべき作曲家ではないのです。

また、たくさんの他の作曲家の作品に惚れ込んだ作曲家です。
他の作曲家による様々な分野の楽曲を、
トランスクリプションとして残しています。
オペラ、歌曲、交響曲、室内楽曲、宗教曲・・・実に幅広いのです。
しかも、他の楽曲をリストのカラーに染めてしまうのではなく、
その作品の持ち味を、ピアノという楽器の特性を生かしながら表現されています。

そこには、それぞれの作品を、上から目線での評価ではなく、
尊敬と愛情を持って評価し、それだけでは欲求が治まらずに
ピアノ曲に書き写してしまった・・・
そんなような気持ちが伝わってくるかのようです。

原曲に比べて音数が凄く多い、と感じられる場合は、
ピアノという楽器の宿命である「音の減衰」を補うべく配慮、
という可能性もあります。
ですから、「リストだから勢いに任せて弾きまくろう」というのは言語道断!

先ずは作品を愛する事です。

もしリストさんが、
カリスマ的な派手な要素以外の顔を持っている事を他人に理解されなかった場合、
どういう反応をしたのでしょう???

私は、悲しい気持ちになりましたが、
リストさんは、相手を責める事もせずに、見下しもせずに、
一度は受け留めた上でサラリと受け流したかも知れません。
気持ちを入れ替える事にしましょう^_^)