朝から晩までレッスンが入っている日は、一日が本当に短く、あっという間に夜になってしまいます。
子供たちのレッスンは本当に楽しく、色々と工夫し甲斐もあり、引き出しはどれだけあっても足りません。

あっ!と気づく、小さなきっかけをたくさん与えてあげる事、
その場では取るに足らない出来事かも知れませんが、この蓄積が内なる感覚や感性の育成に繋がり、将来的に大きな影響を与えていくと考えております。
和声的な難しい用語は使わなくても、緊張感のある響きと解決した響きを丁寧に聴くように意識に働きかけたりする事は、幼少の生徒にも伝えられる事です。
譜読みミスを修正する際に、単にミスを直すだけでなく、どんな意味合いがあるかを理解できる範囲で弾いて聞かせる事は、今すぐに聴き分けられなくても、種蒔きだと思って極力やってみています。

先日、友人のピアニストが
「先生によって違うと言っても、実際は子供のピアノは誰が教えても大差はないよね。悪い癖だけつけなければ、後はどの生徒にも注意する事は殆ど変わらないから、頭使う事は殆どないよね。」と言いました。
その瞬間、私は非常に驚きましたが、ふと自分たちの学生時代を思い出すと(子供ではありませんが)、同じ門下生の演奏は同傾向がある場合が多いものだな、と思った事は事実です。
その中で、人と違った輝きを見せる学生が、才能ある人、と評価されていたような気がします。
注意された事を、自分の感性に問いかけたり心を動かしたりせずに、半自動的に守って練習することを繰り返せば、没個性化していくのは当然で、逆に自ら考え、工夫し、挑戦して行けば人と違ったものが生み出されてくるのも当然だと思います。

ですから、皆に基本的な事を同じように伝え、特に個々に合わせた工夫をしないレッスンも間違えではないのかも知れません。

私は、アンサンブルピアニストとしての活動もありますので、同じ曲を何人もの方と共演する経験もありました。
奏者によって、テンポは勿論、流れや雰囲気、呼吸や間の取り方、音色、大切にしたい事がそれぞれ違いますので、個々に寄り添った伴奏を心掛けてきました。
弾き分ける難しさを感じる事もありますが、相手の呼吸と共に呼吸し、相手の音をよく感じ取れば、意外に自然と寄り添えるものです。
子供たちのレッスンも、もしかしたら他の先生方からは「無駄」と思われるかも知れませんが、一人一人の個性に寄り添って、個々に応じた工夫をしていくのが私の方針だと思っております。